待乳山楯之亟 (3代)
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待乳山 楯之亟(まつちやま たてのじょう、生年不明 - 1862年5月10日〈文久2年4月12日〉)は、入間川部屋及び待乳山部屋に所属した元力士[1]。本名・身長・体重とも不明。[1]。下総国香取郡(現在の千葉県旭市)出身[1]。最高位は西前頭8枚目。
人物
[編集]1851年11月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1858年11月場所で西十両8枚目(十枚目格)に昇進[2]。1860年2月場所で6勝2敗1預の優勝相当成績を挙げた[1][3]。翌1860年10月場所より園部藩のお抱えとなり、1861年10月場所で新入幕を果たした。この場所でも6勝3敗1休の好成績を挙げ、将来の躍進が期待されたが、翌1862年3月場所後[4]の4月12日に急逝。死因等の詳しいことは不明だが、現役中より4代待乳山を襲名していた二枚鑑札であり、過労が祟ったと伝わる。とは言え、死の直前の場所でも休場まで4勝1敗と前場所に続き好成績を挙げており、将来を嘱望された矢先の悲運の急逝でもあった。
幕内通算 2場所 10勝4敗6休の成績を残した。優勝相当成績1回(十両時代の1860年2月場所)。
改名歴なし[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3405&l=j
- ^ 安政5年冬場所(大相撲星取表のHP)
- ^ 安政7年春場所(大相撲星取表のHP)
- ^ 文久2年春場所(大相撲星取表のHP)※6日目以後不出場。この頃に体調を崩し、回復することなく死んだ。